森を守り、木と共に生きる。環境に配慮された木製玄関ドア(前編)
「作り手の気持ち」第2回目は、広島県廿日市市に本社と製造工場を構えるユダ木工株式会社。常務取締役の湯田茂人さん、広報の尾崎羽紗さんにお話を伺いました。
ユダ木工は1924年に湯田建具店として創業した歴史ある会社。培ってきた技術とノウハウを生かし、現在は国産桧を使用した玄関ドアと室内ドアの製造を行っています。
今回のインタビューでは、ものづくりで大切にしている考え方、Noizlessでセレクトした「MIYAMA桧玄関ドア」開発の経緯などについて伺いました。前編・中編・後編の3回に分けてご紹介します。
起源を辿れば、仕様やデザインの意味が見えてくる。
──ユダ木工さんが製品開発で大切にしている「Origin(オリジン)」という考え方について聞かせて頂けますか?
〈湯田さん〉かつてヨーロッパを旅行中に、フランスのモンサンミシェルを訪れたことがありました。この建物は修道院なのに、城壁のような厚い壁に守られ、扉には堅牢な面格子や鍵が付いています。外部の侵略者から修道院を守るためなのでしょう。また、窓にはステンドグラスが使われていますが、大きなガラスを作る技術がない時代に、多くの光を採り入れようと工夫していたことが想像できます。
モンサンミシェルの堅牢な扉
このように、ものの仕様やデザインには理由がありますので、Origin(起源)を理解することが製品づくりをする上でとても大切だと考えています。別の見方をすると、例えば雨があまり降らない地域でつくられたドアを日本で使うと雨対策が不十分だったり、犯罪が少ない地域でつくられたドアは鍵が頼りなかったりします。その地域の気候や風土、文化に合った製品をつくるためには、Originを考えることが欠かせません。
1951年に山口県山口市に設立されたザビエル記念聖堂のエントランスドアをユダ木工にて制作。ユダ木工のOriginとして同じデザインのレリーフドアが本社ショールームの玄関に設置されている
──MIYAMA桧玄関ドアが生まれたのは2011年。どのような経緯で誕生したのでしょうか?
〈湯田さん〉元々私たちの会社は雨戸や障子などの日本の伝統的な建具をつくっていましたが、住宅が洋風化する中で、製造する建具も変わっていきました。そこで技を披露したくてアーチ型のドアや曲線のガラス窓など、他の木工会社が模倣しにくい建具をつくるようになりました。
それから時代が進み1990年代後半になると「建物に溶け込むようなシンプルなドアをつくってほしい」と要望を頂くようになります。
一方で、当時は「メンテナンスフリー」が求められる時代でもあり、各社が競って耐用年数が長いドアの開発をしていました。耐久性を高めるためには塗装を強いものにする必要がありますが、強い塗料を使っても設置条件によっては20年もすれば劣化が進んでしまいます。修復はできますが、一度ドアを取り外し、当社の工場で特殊な薬品を使いながら研磨し再塗装するため、お客様の費用負担が大きくなってしまうのです。
発想を変え、玄関ドアを長持ちさせるためにはお客様自身で定期メンテナンスできることが大事なのではないかと考えました。そんな時に、植物油を木に浸透させる自然塗料「オスモカラー」と出合いました。表面に頑丈な被膜をつくる塗料ではなく、これならお施主さんが自分の手で傷んだ箇所をサンドペーパーで磨いて再塗装できますし、表面には木の質感や重厚感も現われます。それが「MIYAMA桧玄関ドア」の元になった製品で、ラスティックドアと名付けました。今から20年前の2003年頃のことです。
30年後も美しい街並みをつくるドアを広めたい。
──はじめは「ラスティックドア」という名前だったんですね。ネーミングの由来は何でしょうか?
〈湯田さん〉全国的に見て無機質な家が増えているように感じていました。一見木に見える玄関ドアも木目調のシートを張ったイミテーションだったり。それに対して私たちはオスモカラーを使い木の風合いを楽しめる木製玄関ドアを開発したのですが、その製品名がなかなか決まりませんでした。
その頃、ドアの気密性能を高めるためにヨーロッパのゴムパッキンを仕入れることになりました。その10色ほどのカラーバリエーションを見ていくと、そこに「ラスティカルブラウン」という名前がありました。少し朽ちた風合いの茶色で、木の経年変化を表現しているように感じたのです。
「経年変化することはデメリットではなく、木という素材が持つ特長である」と捉え、そこにお施主さんが自身の手でメンテナンスすることで愛着を深めていく。そういうドアとの付き合い方を提案していこうとしていましたので、粗っぽさや素朴さを意味するラスティック(Rustic)という言葉は私たちが開発した木製ドアの名前にぴったりだと思いました。
──当時求められていたメンテナンスフリーとはかけ離れた提案です。思い切った決断ですね!
〈湯田さん〉実際に需要がどれくらいあるのか分からなかったので、はじめはオスモカラーを使って仕上げるのはオプションにしていたんですよ。ですが、じわじわと被膜をつくる塗装ではなくオスモカラーを選ぶ方が増えていき、気が付いたらそっちが多数派になっていました。
実際、30年間メンテナンスフリーの玄関ドアを販売したとして、果たしてそれが30年後に美しい街並みを形成するものになるのか?という疑問があります。
私たちの会社がある広島県廿日市市は世界遺産の厳島神社がある街です。多くの外国人旅行者がその周りの古い街並みにも感動して帰っていきます。
廿日市市の木製建具の会社として、木製玄関ドアの製造販売を通して30年後も美しくワクワクする街並みをつくるのに貢献できたらと考えています。それができる木製玄関ドアを広めていきたいですね。
広島県廿日市市の豊かな海と世界遺産に登録された国宝厳島神社
- 前編はここまでです。次回の中編では、環境に配慮した材料調達と製造プロセスについて詳しくご紹介します。
→コラム:木を守り、森と共に生きる。環境に配慮された木製玄関ドア(中編)はこちら
→Noizless MIYAMA檜玄関ドアシリーズ 製品ページはこちら
湯田 茂人(ゆだしげと)
ユダ木工株式会社 常務取締役
プロフィール/ 1965年広島県生まれ。
近畿大学 工学部 建築学科卒。
ゼネコンで現場管理を経験後1990年からユダ木工現職に就く。
断熱ドア・防火ドア(防火設備)・玄関引き戸等の研究開発などに長年従事
尾﨑 羽紗(おざきうさ)
ユダ木工株式会社 営業部 広報
プロフィール/ 1994年広島県生まれ。
広島市立大学 芸術学部 油絵学科卒。
ユダ木工入社後、WEB・SNSでの情報発信を担当する。